アカデミー長編アニメ賞の名作を創る宮崎駿氏の知られざる人柄さぐる10選?

scenic view of ocean during dusk アニメーター」
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宮崎駿氏

今やアニメ界の巨匠

生きる神様と言ってもいいほどに、

宮崎駿氏が作り出す作品は、素朴でありながらも尊く、

純粋でひたむきな印象を与え、人として

大切なことを教えてくれる作品ばかりです。

優しくてユーモアーが有り、神秘的であり、

神がかりな感じも受けます。

そんな

宮崎駿氏巨匠の人間らしいエピソードを

調べようと思いました。

宮崎駿氏の人柄がわかる10選

エピソード:大きく変わる転換期

宮崎駿さんは幼い頃、体が弱く本をよく読み、

絵もよく描く少年だったそうです。

絵は本当に上手く、自分で物語を作って描い

ていました。

進学校である東京都立豊多摩高等学校在学

中の時、

葛藤や悶々とした気持ちを表現した、

作品を作っていましたが、

中学3年生の時に観た

東映動画製作『白蛇伝』に感動したことを

思い、アニメーション

にも関心を持つようになりました。

「ああ、これがつくりたかったんだ。

オレは純粋にオモシロイものを作りたいんだ。」

その瞬間、彼は暗黒時代を終わらせ、

純粋で美しく、綺麗

な作品を追求する今の宮崎駿氏の動画像が

始まったのだと思います。

以下、本書より本人の談を引用します。

なぜ、そういう考えをもつようになったかといえば、

私事になりますが、

受験の暗ヤミの時期にちょうど劇画雑誌が

出ていたことに端を発します

そういった劇画雑誌には、

世の中はうまくいかないものだということばかりを

描いていた不遇の劇画家、特に大阪あたりに巣くっていた、

巣くってなどと言うと大阪の人たちに申し訳ないですが(笑)、

その彼らが恨みつらみを込めて描いているものですから、

ハッピーエンドがひとつもないわけです。

なるべく皮肉に終わろうとんするんですね。

それが、暗ヤミの受験生にとって

一種の爽快感になっていたんです。
で、その頃すでに絵を描くことで将来生きていこう

と思っていましたから、

そういう劇画の恨みツラミみたいなものを

書こうとしていました。
(中略)
ちょうどその頃「白蛇伝」を見たんです。

見て一種のカルチャーショックを受けたんです。

劇画に対する疑問がぼくの中に宿ってきたんです。

「オレが、いま描いている劇画は、

本当に自分がやりたいことなのか、本当はちがうのじゃないか」

と思ったんです。もっと具体的に言えば、

もっとすなおにいいものはいい、きれいなものはきれい、

美しいものは美しい、と表現してもいいのではないかと思ったのです。」

(「出発点 1979〜1996」宮崎駿著 p80-81より引用)

silhouette photo of mountains
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宮崎駿氏の作品で、

時代などの大きな力のようなものに対して、

「ワーワー」言ってみたり、

みんな集まって話をしていたりする場面

ありますよね。

学生運動の時代を知らないと描けない感じがします。

エピソード:優しいフェミニストである

調べてみると

宮崎駿氏はフェミニストだと書かれていました

フェミニストとは

「女性の権利を認め、男女平等と多様性を志向する人のことだそうです

海外の俳優やアーティストの中にもフェミニストであることを公表したり、

各々が自由に生きられる権利を主張したりする人が現れているので、

少しずつ認知されています」っと言うことだそうです。

宮崎駿氏が

フェミニストである点が挙げられた理由は、

スタジオジブリを建設する際に、

女子トイレを男子トイレよりも大きく設計

するよう指示したのは有名な話です。

また彼の作品に登場する女性たちは快活で、

才気を発するキャラクターが多い事を

見てもそうだと考えれます。

一方、男性たちはというと

皆子供っぽいですし、どこか少年のようで、

女性に率いられるタイプがよく見られます。

と書かれています。たしかに

宮崎駿氏のアニメは、

男の子と女の子が登場して、

お話が進んでゆくのが多いです。

そういうところも関係あるのでしょうか

エピソード:宮崎駿氏のアニメに影響を与えたお母さんの存在

宮崎駿氏は、幼少期に母親の背中に、

おんぶしてもらえなかった。

っと話されています。実は母親は結核に

侵されていて、

その菌が脊椎にも及んでいたからであって、

宮崎駿氏少年が、「おんぶしてほしい」

と母親に言うと、母親は、

「出来ないと」、涙ながらに断ったのだという。

話があります。

結核を患っていたら、抱っこもできないし、

子供の健康を考えると、

おんぶもできないっと思い、

お母さんは、とても辛かったと思います。

そうした病弱の母親を前に、

四人きょうだいの上から二番目だった

少年宮崎駿氏は、

「いい子」になろうと演じ続けたやさしい

子だったのだと思います。

そうした宮崎駿氏少年の、

ベットに寝たきりの多かった母親への思い…

が色々合ったのだと思います。

しかし、その母親は、本来は明るく、

活発で言うことはズバリと言う、

勝気で、そして芯はやさしい人柄だったらしいです。

そう言われてみると、

彼の作品には、例えばトトロでは、病気の若い母親が登場したり、

風立ちぬでは、登場する少女が結核を患っていました。

他の作品でも、魔法使いのような顔の、勝気な母親と言うか、

おばあさんが、よく登場します。

彼の描く母親は、トトロの時の若く美しい母親以外は、

鼻のとんがった、魔法使いのような外見はツンツンした

感じのおばあさんが多い感じですが、その心の芯には、

温かなユーモアーとやさしさを秘めている芯の

温かい感じのあるキャラクターが多いように思います。

宮崎駿氏の人柄を調べる中で、作品のキャラクターから

理想の女性やお母さんの印象などが現れるのだと思いました。

エピソード:漫画家からアニメ制作に変わった事

幼い頃から、絵が上手であった宮崎駿氏は

 学生時代は漫画家を志望していたそうです。しかし

いざ漫画を描くと「手塚治虫に似ている」

と他人から指摘を受けたそうです。

私も経験がありますが、つらい指摘ですよね、

自分自身では真似をしているつもりはなくてもそう言われると

より気にしてしまい自由に絵がかけなくなってしまいます。

母親から「人の真似はするな」

と言われ続けてきた

宮崎駿氏は大変な屈辱感を覚えたと

聞きます。

そのため漫画家への道を断念し、

自分の画風を気にする必要がない

アニメーターへ

と進路を変更したのです。

1963年、学習院大学を卒業した宮崎駿氏は

東映動画(現・東映アニメーション)

に入社。

先輩アニメーター・大塚康生氏の下で

動画マンとして

アニメ製作に携わるようになります。

並々ならぬ絵への情熱を感じます。

エピソード:大塚康生氏が語る若かりし頃の宮崎駿氏

記事の中に大塚康生氏にインタビューを

している文章があり

その筆者は東映動画時代に直属の

上司だった大塚康生氏に

当時の宮崎駿氏の印象を聞く

機会があり聞いてみたそうです。

大塚康生氏は当時の宮崎駿氏を思い出し

次のように話してくださいました。

大塚康生氏より

「彼は新人のくせに我が強く、

とにかく生意気なヤツでした。

ところが、いざ絵を描かせるとずば抜けて

上手い。

しかも集中力が高くて、

仕事がすごく早いんですね

ボクは内心彼に負けたと思いましたよ

でも、ほかの人間にはただの生意気な

若造にしか見えない。

だから、ボクは彼が周囲に潰されないように

守ってやろうと思いました。

でも、そうしたら“大塚は宮崎を

エコ贔屓している”

とボクまで嫌われちゃってね(笑)。

一時は大変でしたが、

次第に周囲も彼の実力を認めざるを得なく

なりました」

ずば抜けて才能のある天才は、

やっぱり守って育ててくださる人が

そばにいるのですね。

なんだか大谷翔平さんと 

栗山英樹監督のことを

思い出してしまいました。

エピソード:絵コンテに顔や背景などすべて描かれており1冊の本になる

宮崎駿氏の仕事のことを書かれている文書

が有りました。

「宮崎駿氏は、監督+アニメーターです。

ですから、彼は絵コンテを描きます。

絵コンテとは、映画の一連の動き、

コマ割、せりふ、細かい指定を描いていく

物です。

でも、宮崎駿氏のその絵コンテが

凄いのです。

たまに、丸チョン絵コンテと俗に言われる

ような、

○描いてチョンチョンみたいな顔しか

絵コンテには描かないような

アニメーターも居るくらいです。

しかし、彼の絵コンテは顔、

背景などすべてキッチリと

映画そのままに描かれています。

その絵コンテだけで本になるくらいです。」

良くスタジオジブリの絵コンテなどが、

展示会で展示されています。

他のアニメではあまり観ません

しっかりと絵コンテに描かれているっと

いうことは

すごいことなんですね

エピソード:根っから生粋のアニメーターの職人気質

絵コンテの話から、ものずくりをされている

人特有の気質は感じ取れましたが、

やっぱり

どうやら宮崎駿氏は全ての原画に

目を通さなければ

気が済まない性分らしく、

メイキングの大半は

作画チェックと原画修正で占められて

います。

その理由は宮崎さんが生粋の

アニメーターだからです。

画面には、他のアニメーターが描いた

絵を見て

「う~ん、なんか違うんだよなあ~」

とブツブツ文句を言いながら

絵を修正する宮崎さんの姿が何度も映し

出されていました。

突然「だあああ~!」と両手で髪の毛を掻きむしり、

イライラと煙草を吸いまくるその姿からは、

「もっとこうして欲しいのに…」という、

キャラクターの微妙なニュアンスを他人

に上手く

説明できないもどかしさが感じられ、

ついには「悩んでいる間に描いた方が早い!」と

言い放ち、さっさと自分で描いてしまうの

です。

宮崎駿氏のなんとも人間味のあるところが、

にじみ出ています。

きっと宮崎駿氏には、

アニメの神様が付いているのだと思います。

神様と人間界の間を行ったり来たりしている

感じがします。つなぎとめているのは

宮崎駿氏の愛情と優しさなんでしょうね

エピソード:プロの声優が嫌い

声優が大嫌い!!

びっくりする文章が入ってきました!!

「宮崎駿氏は(監督)作品でプロの声優を使

わない事でとても有名です。」

アニメーターと声優は、持ちつ持たれつの

関係だと思うのですが、「声優嫌い」とは、

何かお考えがあるのでしょうか?

ヒントは、インタビューの中の

一言にありました。

『女の子の声なんかみんな「私、かわいい

でしょ」

みたいな声をだす。  あれはたまらん。

なんとかしたいといつも思っている。』

と答えている文章が有りました。

宮崎駿氏は感覚が人並み以上に敏感で、

いつも研ぎ澄まされています。

声優さんはプロで心得てるので、

何でもそつなくこなしすぎるのでしょうか、

完璧すぎると言う事でしょうか。

声をプロにしている方とそうでない方の違いのような

本当の人間には、色々複雑な内面が

あるものです。

『良いお父さん』と思える人でも、

『良い人』と言われている人でも、

仙人ではありませんので。心の中では様々な

煩悩や葛藤があるはずです。

そういうリアリティを少しでも人物

の中に入れ込みたい。

と言う事なんでしょうか。っと

書かれていました。

現代ではAIでなんでも出来る様になっていますが、

AIには人間の葛藤や二面性、皮肉屋や

愛想笑いをする言い方など

人生、命、魂がないので、

言葉だけになります

宮崎駿氏ならきっと「嫌だ、きらいだ」っと言って

はねのけてしまうかもしれません。

宮崎駿氏、、鈴木敏夫プロデューサー

エピソード:つねに世界を観ていた「ザ・昭和の父」

「息子の宮崎吾朗さん」は、父宮崎駿氏のことを

「子供の頃、父と接している時間よりも父の作品と

接している時間の方が長かった」

というような発言をしています。

「僕は子どもの頃から何ひとつ親らしいことを、

宮崎駿さんにしてもらったことはないです」

っと話されています

昭和時代のお父さんはみんなそうです。

悲しい話ですが、

世界で活躍されている方は、

子供さんに対してそういう印象を

与えてしまわれる人は

とても多いと思います。

本当に大事なものは、

目に見えてわかるものではなく

見えにくく、分かりにくいものこそが

本当に両親からもらった

大事なものなのかもしれません。

エピソード:奥様との馴れ初め

奥様のプロフィール

  • 名前::太田 朱美(おおた あけみ)
  • 本名:宮崎朱美(みやざきあけみ)
  • 生年月日:1938年
  • 年齢:85歳(2024年3月現在)
  • 出身:東京都
  • 学歴:女子美術大学短期大学部

宮崎駿氏と大田朱美さんは、

1965年10月に結婚しました。

宮崎駿氏は1963年に大学を卒業をして、

東映動画で同じアニメーターとして

働いていたそうですが、

2年間のあいだで、仕事を通じてお二人共

急接近したのですね。

奥様は仕事をしている時、宮崎駿氏よりも

絵はうまいと言われ

将来有望とされていたそうです。

大塚康生氏からずば抜けて絵が

うまいっと言われていた

宮崎駿氏よりも上手いなんて、

どれだけー上手なんですかー

と叫んでしまいます。

結婚した当時は、女性は結婚後は仕事を

辞めなければならないという

雇用差別があった時代だったそうです。

ですが、同僚のアニメーター奥山玲子さん

(NHK朝ドラの『なつぞら』の主役のモデルになった方)

が結婚・出産後も退職せずに

アニメーターを続けていたのでそれに習い

朱美さんも続けたそうです。

しかし、その後お子様が生まれ退職されています。

子育て日記宮崎朱美さん

「宮崎朱美さんが作られた絵本です。」

宮崎駿氏のプロフィール

本名:宮崎駿 氏

別名義:秋津三郎(あきつ さぶろう)

    輝樹務(てるき つとむ または てれこむ)

生年月日: 1941年1月5日

    (2024年3月現在(83歳))

出生地:日本・東京都墨田区もしくは文京区

 (東京府東京市麹町区有楽町2丁目

ではあるが、

東京府が東京都になることで区分わけを、

行い現在、墨田区か文京区っとなっている。)

血液型:O型

兄弟:4人兄弟の宮崎駿氏は

   次男です。

卒業学校:学習院大学政経学部卒業。

著名な家族:奥様ー宮崎朱美さん

      義理の父ー大田耕士氏

      (教育と反戦を訴える版画家)

      長男ー宮崎吾朗氏

      次男ー宮崎敬介氏

      義理甥ー堤大介氏

事務所:スタジオジブリ

まとめ

宮崎駿氏の人柄10選を調べましたが、

厳しいながらも、優しくあたたかな

印象が残りました。

なんだか

力がなく弱くても、ひたむきに一生懸命生きている

者たちに、光をあてエールを送って

くださっているような

そんな気持ちになりました。

ありがとうございます。そして

アカデミー賞受賞おめでとうございます。

scenic photo of clouds during daytime
Photo by Stanislav Kondratiev on Pexels.com

最後まで見てくださり、ありがとうございました。

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