子供の頃、どの文房具にも描かれていた、亜土さんの
イラスト、とてもかわいくてテレビで亜土さんが、
ガラスに絵を書いている姿など見ていて、
絵も本人も可愛くて、今どうされているのだろう
と思ってしまいました。
こんなに、可愛らしく女の子が描けたらどんなに楽しいだろうと
思ってしまいます。
私の憧れの方です。
そんな亜土さんを、調べようと思いました。
今、何をしているの?
現在は旦那の里吉しげみさんは
『劇団未来劇場』に主催者で、
水森亜土さんも所属し活動しています。
主な活動は歌手としてライブのようです。
他には水森亜土さんのイラストのグッズを
オンラインストアなどで販売しています。
昨年、徹子の部屋に出演されたようで、
現在ご年齢が84歳となります。
80歳過ぎても、テレビに出演されて、活動され歌も歌われているとは、
やっぱり、いつまでも元気でキュートな方なのだと思います。
水森亜土さんのプロフィール
本名 里吉 文江
生年月日 1939年(昭和14年)(12月23日)現在84歳
出身 東京都中央区日本橋
ご両親
父 建築家
母 日本画家の森美子
卒業学校 中央区立常磐小学校
桜蔭中学校・高等学校卒業
ハワイ
モロカイハイスクール遊学
英語、ジャズに触れる。
職業 日本・イラストレーター
歌手・女優・画家・作家
愛称 あどちゃん・あどたん
ご主人 里吉しげみ さん「劇団未来劇場」の主宰者
1938年生まれ(2月18日85歳)現在85歳
事務所 劇団未来劇場亜土工房
公式サイト 亜土ちゃん.com
亜土さんエピソード
ウィキペディアによると
亜土さんは、妹さんがいるそうです。
生まれは、三代続く生粋の江戸っ子です。
お話が、早口なところが江戸っ子弁だったのかも知れません、
祖母が元芸者だったので自宅には、
近所のひとなど人の出入りの多いにぎやかな
家庭環境だったそうです。
幼い頃から絵を描くことが好きで、
小学校の頃は赤面症で引っ込みじあんだったみたいです。
私の記憶の中の亜土さんは、
とても、明るくて、自由奔放な感じをうけるので
引っ込みじあんだったなんて、
そんな感じには思えないです。
幼い亜土さんにとって、ストレスになることもあって、
左利きを矯正されたストレスで一時吃音症になったそうです。
吃音症って 「話しはじめの言葉に詰まったり、
言葉がすらすら出てこない発達障害のひとつです。
人前で話すことに困難が生じることから、
日常生活や学校生活に支障をきたし、
授業で発表ができない、学校行事に参加できない、
就職できないなどの問題を抱えてしまう人もいます。
小さな柄に、ストレスを感じ吃音症になってしまったのですね。
しかし亜土さん、本人によると、
その後近所に住むプロのミュージシャンの練習を見ながらスキャット
を口ずさんでいるうちに気づけば吃音が治っていたとのこと。
また、ジャズに目覚めたのもこれがきっかけにもなったそうです。
スキャットって何?
スキャットとはー (Scat) とは、ジャズやポップスなどで使われる歌唱法のひとつ。
意味のない歌唱、たとえば「シャバダバ」「ドゥビドゥバ」「パヤパヤ」「ルルル」
といったような音声をメロディーにあわせて即興(アドリブ)的に歌うこと。
この歌唱法は、「歌」というよりも声を一つの楽器として表現する手法である。
とのことです。
ここまで、亜土さんのことを、調べていると。
私と似たところが多いと思いました。
”内向的で、
左利きの、絵を描くのが好き
勝手に似ているったんて思ってしまいます~~”
とっても親近感が湧きます。
ハワイでの学校生活
亜土さんのイラストと言えば、金髪でまつげの長い青い目をした女の子、
を思い浮かびます。イラストを見ると海外のイメージが湧きます。それもアメリカ!
だから、ハワイに遊学していたのを知って、イラストから感じるイメージは
ここからなのかと思いました。
亜土さんが何故ハワイに行ったのか、ハワイでの生活を見てみましょう。
ウィキペディアによると
当初美術大学進学を目指し、
いくつか美大を受験したが全て不合格だった
高校卒業後の行く宛のない娘を不憫に思った母が、
友人のハワイのモロカイ・ハイスクールの校長に
手紙を出したことで、
高校を卒業したのに再びハイスクールに入ることになったのです。
後日、母に「毎日、絵日記を書いて日本に送る」と約束してハワイに旅立ち、
ハワイでの暮らしぶりなどについて絵日記を描くようになります。
ハイスクール時代は女子寮で暮らしていましたが、
周りが年下だけだったため話の合う子がいなかったそうです。
寮の自室では、手回しの蓄音機でフランク・シナトラやアーサー・キットのレコードを
よく聞いていました。また、ある日シャワーでは物足りず浴槽のある風呂に入りたくなり、
寮の庭に自分専用の風呂場を作ったそうです。以降それに入るようになると、
毎晩のぞきに来たカエルに「ジョン」と名付けたりしました。
この頃、広大なパイナップル畑の土をならすという本人にとって最初で最後のアルバイト
(当時、1時間2ドルの賃金)を経験します。
バイト終わりには、赤土まみれになった身体を洗うため近くの川に飛び込むと、
いつも同じ野良犬が飛び込んできて毎日一緒に泳いでいたという。結局、
ハワイでできた友達はカエルのジョンと野良犬だけだったそうです。
本人は後に「暗い青春時代だった」と回想しています。
ハワイに行かれている間に、毎日の絵日記で、可愛く、ラブリー
で動物も花も虫も優しく
描けれるようになったのでしょうか。
イラストレーターになる動機、キッカケは何から?
ハワイから帰国した後、
「たのしいきょうしつ」のオーディションに参加すると、
スタッフから特技を聞かれた。
その際、苦し紛れに「両手で絵が描けます」と言ったのがきっかけで、
同番組で歌いながら透明のボードに両手で絵を描くスタイルが生まれました。
そのコーナーでは、1分40秒の間に1曲歌いながらイラストを完成させるものです。
当時はまだ水性サインペンがそれほど普及していなかったため、
小さいマヨネーズの空の容器にインクを入れてフェルトで栓をし、
インクが染み出るように容器を押しながら描いていたそうです。
番組で使用したボードは実際にはアクリルではなく、ガラス製だったため、
描いている最中にインクがどんどん垂れることもあったとのこと。
そのため「ドライリハーサル→カメラリハーサル(カメリハ)→本番」
と何回も描くとガラスの掃除が大変なため、ドライとカメリハは描くフリだけで済ませ、
イラストはいつもぶっつけ本番で描いていたという話です。
オーバーオールをきて、帽子をかぶって、少しいたずらっ子のような
感じで、歌いながら絵を書いていて。お話も楽しくて見ていました。
まとめ
今回、調べて水森亜土さんがとてもチャーミングでやっぱり
素敵な方なのだと思いました。
後、水森亜土さんが、仕事のことで話されているところがあったので
紹介します。
亜土さんは
- 本人としては「本職は雀士」と位置づけており「麻雀に命を懸けています。副職がジャズシンガーで、天職がイラストレーターで、お芝居は内職かな?」と評している。
だそうです。とてもユーモアがあって、おもしろいですよね
亜土さんにとっての仕事の位置づけは、命をかけて取り組んでいる順番の
ようです。イラストは天職なんて言えるところも素敵です。
亜土さんのイラストを紹介します。
最後まで見てくださり、本当に有難うございました。
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