人気絶頂の氷上の王者が、結婚!そして105日で
離婚!なかなかびっくりする展開ですが
当本人にとっては、かなり心身ともにきつかった
のではないでしょうか
離婚発表をしました。
X(旧ツイッター)の文面です
羽生結弦さんから
《応援してくださっている皆様へ
いつも暖かいお言葉や応援、ご声援、
本当にありがとうございます。
私事ではありますが、
皆様にお伝えしたいことがございます。
私は、一般の方と結婚いたしました。
互いを心から尊敬し、
大切にしていく覚悟を持って結婚いたしました。
それぞれを守るために様々なことを考えながら
共に乗り越え、過ごしてきました。
そんな生活の中で、お相手は、
家から一歩も外に出られない状況が続いても、
私を守るために行動し、支えてくれていました。
現在、様々なメディア媒体で、
一般人であるお相手、そのご親族や関係者の方々に対して、
そして、私の親族、関係者に対しても、
誹謗中傷やストーカー行為、
許可のない取材や報道がなされています。
生活空間においても、不審な車や人物に徘徊されることや、
突然声をかけられることもあります。
私たちは、共に思い悩みながらも、
このような事態から、
互いをなんとか守っていけるように努めてきました。
しかし、私が未熟であるがゆえに、
現状のままお相手と私自身を守り続ける
ことは極めて難しく、耐え難いものでした。
このような状況が続いていく可能性と、
一時改善されたとしても再びこのような状況に
なってしまう可能性がある中で、
これからの未来を考えたとき、
お相手に幸せであってほしい、
制限のない幸せでいてほしいという思いから、
離婚するという決断をいたしました。
これからは、お相手、そのご親族や関係者の方々、
また、私の親族、関係者に対しての誹謗中傷や
無許可の取材、報道等、迷惑行為はおやめください。
心より、お願い申し上げます。
この先も、前に進んでいきます。
これからも、よろしくお願いいたします。 羽生結弦》
手紙から見える離婚の理由
・理由1:誹謗中傷やストーカー行為、
許可のない取材や報道がなされています。
生活空間においても、
不審な車や人物に徘徊されることや、
突然声をかけられることもあります。
誹謗中傷による
精神的な苦痛が感じられます
・理由2:私が未熟であるがゆえに、
現状のままお相手と私自身を守り続ける
ことは極めて難しく、耐え難いものでした。
自分自身で守り続けれなかっ
たっという自分を責める気持ちが
感じられます
・理由3:お相手は、
家から一歩も外に出られない状況が続いても、
私を守るために行動し、支えてくれていました。
彼女自身も頑張って支えてくれていたという
申し訳ない気持ちが感じられます
手紙から見ると、かなり追い詰められていた
のではないだろうか?っと考えてしまいます。
夫婦の間で、お互い信頼をし、信じて人となりを
解り合える関係となって
いいとこも悪いところもすべて受け止めるには
時間がいります。
お二人共辛かったのだと思います。
羽生結弦さんの以前の奥様
バイオリニストの末延麻裕子さん(すえのぶ まゆこさん)
彼女は、とても優秀な方で
彼女を知る方は「音楽業界でも知る人ぞ知る存在だ」
と言われるほど活躍されていました。
4歳の頃からバイオリンを始め、
数々の著名な音楽家が輩出してきた桐朋音大を卒業しています。
その後、クラシックの垣根を越えた活動に精を出すために、
都内の芸能事務所にアーティストとして所属していました。
X JAPANのYOSHIKIさんや相川七瀬さんといった人気歌手と
次々に共演。
かの矢沢永吉さんは
末延麻裕子さんの才能を知り“君はどこに隠れていたんだ”
と絶賛されていました。
その後バックバンドのメンバーに加えた
っという逸話を持っている彼女です。
お二人の特徴
お互い芸術的でクリエイティブな
方たちで、羽生結弦さんも
彼女も耳がよくとても音に敏感です。
ど下町の一般人のように(私、ゆゆのこと)
「うるさーい」とは、
有名な方ですし
到底言えることではなく、内に秘めていたのだと思います。
なんとも辛いし、キツイ状況だと思います。
そう思うと
大変残念な結果にはなりましたが
大きな病気になる前に、
決断したのは正解だったのかもしれません。
羽生結弦さんの2024年現在活動は?
現在、プロスケーターとして、定期的にアイスショーを行っています。
2024年の3月11日は東日本大震災から13年っとなります。
羽生結弦さんは13年前「3.11」犠牲者の遺体安置所だった会場で
スタンドを見上げながら話してくださいました。
羽生結弦さんは、震災発生当時は16歳でした。
「本当にあの日はつらかったですけど。
実際にまだまだつらいこともたくさんあると思いますけど。
こうやって13年たって、ここにいる皆さんに、
僕たちなりの希望を届けたつもりです。
明日への光を届けたつもりです。どうかどうか、
これからも前を向いて、一生懸命歩いていってください。
それが僕たちの願いです。
これからもどうか星の光のように、満天の星空のように、
どうか、みなさんそれぞれが、光っていってください」
と語ってくださいました。
震災のときは、仙台のリンクで被災されたそうです。
たくさんの悲惨な場面や、心苦しい
体験をしてきたと思います。
それでもなお多くの人達に、希望や感動を
届けようとされる姿は、やっぱり
「羽生結弦さんだ」っと思います。
まとめ
お二人が共に、別の道を歩み
結婚とは違う形をとったのは、お二人が
決められた形です。
お二人が、
より活躍されることを応援して行きたいと
思っています。
最後まで見てくださりありがとうございます。
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